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頑張れ東北!みちのくの光は消えず~2003.1.1

頑張れ東北!みちのくの光は消えず~2003.1.1

おもしろい話⑨

太平洋に面した「海の町」八戸。八戸港は北日本有数の漁港・商港・工業港で、水揚量日本一を何度も記録した(注1)。八戸では、漁港一帯(湊・白銀・鮫の各地区)を総称して「ハマ」と呼ぶ。八戸の港が整備されたのは江戸中期のことだから、同じ「ハマ」でも、幕末に開港した横浜なんかより遙かに歴史は古いのだ(注2)。
 ワタシの故郷である鮫地区には、天然記念物に指定されているウミネコ繁殖地「蕪島」があり、その手前には海水浴場が広がっていた。海は子どもの遊び場であり、貴重な食料倉庫でもあった。ワカメやコンブは拾い放題。岩場に行くときはバールを持ち、岩にビッシリ張り付いたシウリ貝(ムール貝)を引剥がす。森永ミルクの大きめの空き缶も用意してあり、火を起こして茹でるだけ(注3)。海に行く途中の畑からジャガイモやトウモロコシを貰ってきて、これもただ茹でるだけ。竿一本あればアブラメやタナゴは簡単に釣れるし、少し潜ればウニだって採り放題。漁港に行けば、着岸したばかりの船が水揚げしていて、網からサバやイワシがボロボロ落ちる。おこぼれを狙うウミネコ君を横目に、バケツに10本、20本突っ込む。網には毛ガニも相当入っていたが、当時は誰も食べないから、せいぜい味噌汁の出汁になるぐらいか。家の近所に加工場があり、坂道を登るトラックの荷台からサバが落ちるから、洗面器を持って拾いに行く。だから、魚は買うものじゃなく拾うものだと、子どもの頃は本気でそう思っていた。
 ある日のこと。いつものように市場に行き、サバを拾って馴染みの食堂へ。
T「お。おじちゃん、サバ買って!」(売りに行ったのはこの日が初めて)
S「ん。なんぼだ」
T「お。一匹30円」(小遣いは一日10円だった)
S「ん。高けえな。10円だな」
 こうして、大枚100円を入手。焼きそばが一杯10円、おでんが一本5円の時代のこと。大いに豪遊を楽しんだのであった。
 …ルンルン気分で家に帰ると、父が手招きをする。
S「あ。とーさん、なあに」
P「ほ。お前、今日どこさ行ってた?」
S「あ。そ、そりゃソロバン塾だけど」
P「ほ。その塾さ、包丁があるんだか」
S「あ。な、なして知ってるの」
P「ほ。あの食堂のオヤジ、俺の友達だ」
 …天網恢々疎にして漏らさず(注4)。悪いことはできないなあと、つくづく思う。

(注1)昭和41・42・43年の三年連続、平成12・13年の二年連続など。
(注2)安政5(1858)年の日米修好通商条約では、下田・箱館を閉港し、神奈川・長崎・新潟・兵庫を開港するとされたが、神奈川は手狭なため、近隣の横浜に変更された(正式開港は安政6年)。
(注3)アメリカのメーン州に行ったとき、その町の市場でシウリ貝を見つけたので、しこたま買い込み、友人のホームパーティーのお土産にした。余ったやつをパスタにしたら大いに受けた。アメリカ人はトマトケチャップが好きだ。
(注4)天網は目があらいようだが、悪人を漏らさず捕らえる(三省堂「大辞林」)。出典は「老子」。


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